「ありがとう歴史」 と言う 親父のアルバム+動画

 

 
 

私が親父の歴史アルバムを作る切っ掛けになったのは

6~7年前にさかのぼります
 

 

 

写真アルバムを納入されてる取引先のSさんがいつも手帳サイズの

アルバムにお父さんの写真を10枚ほど入れて持ち歩いてました。

若い頃から最近の写真が入ってました。

太田さん、自分でこういうの編集出来るやろ?作れば

来るたびに見せてくれてました。その時、私はう~~~ん

飼ってるペットのなら欲しいけど 父ちゃんのはなぁ~

いらへんなぁ~と言ってました。

父 中学生の頃

 

私はどちらかというと、母親にべったりな幼少期、中学、高校

と過ごし、進学、就職も母に相談、父親とはあまり話しあった

はありませんでした。まぁ男同士ってそんなもんでしょ(笑)

必要なこと以外あまり口聞かないみたいな。。。

父もそれほど口数多い人じゃなかったし、寝るのも 9時、10時と

早かったです。

 

父 高校生の頃

 

小さい頃の父との思いで話で よくキャッチボールしたとか、

水浴行ったとか友達は話しますが、運動あまりしない親父でした

し、キャッチボールや野球観戦などしたこと無かったですし、父

の影響か私も野球に興味はでず よくプロ野球選手のモノマネと

かする人いましたが笑えませんでした(誰か知らんしぃ~)

巨人軍のピッチャーがその頃 江川 卓さんというのはさすがに

知ってました。たまたまテレビ見てて巨人軍×阪神戦 ピッ

チャー江川が投げておらず 翌日、友達に「昨日テレビ見たけど

江川と違ったけどピッチャー変わったん?」そう私は、巨人軍

ピッチャー=江川1人 だとばかり思ってまして まぁ~その後

爆笑されるわ、野球音痴とあだ名つけられるわ有名になりました

 

高校卒業後、写真学校に進み その後写真館に就職で知多市に

住んでました。私には兄が1人いますが、兄も東京に就職で行っ

てまして父母2人で実家に住んでたんだよなぁ~今思うと。

たまに帰ってましたが夜遅く帰って、昼間には戻ってましたので

父にあまり会うこともなく9年間知多で過ごしてました。

 

結婚を機に、私は鈴鹿市に戻り「鈴鹿 創寫舘」という写真舘を

設立しました。自己資金700万円 開業のため貯めてましたが

親父にも協力してもらい、また開業の手伝い、銀行口座など作っ

てもらって会社を持つことが出来ました。

最初の頃はお客さんもつかず、不安そうに店を見に来てくれる

親父でした。何度かピンチの時 何も言わずに協力してくれまし

た。近くには住んでましたが兄が父母と同居してましたし、開業

当時 定休日も無く、夜も遅かったので滅多に実家には行きませ

んでした(とっても親不孝なお子様でした 反省)

 

兄夫婦にも私達夫婦にも子供が2人ずつ出来ました~

孫の顔見せることが出来 この時初の親孝行かな(^ヘ^)v

 

そんな時 同居してた兄夫婦が出て行く~~と言う事件が

起こりました。

 

兄夫婦が親父達と同居してましたが、突然荷物まとめて出て行き

ました。引っ越し社のトラックがきてイキナリ、、、、、

原因は嫁姑の関係悪化でした。ウチの母親は神経質、細かいこと

ばかり言う性格です。かなりワガママです。母の姉に聞くと、

兄、姉、母、妹の4人ですが妹とは9つくらい離れてて実質母は

末っ子みたいに育てられ割に裕福に育てられたみたいです。

気に入らないことがあるとプイッと怒り姉とは良く喧嘩してた

ようです。自分の怒りに更にエスカレートしていく感じで

絶対に自分からは誤りません。

 

 

父とも仲良くしてたトコは1度も見たことありません

小さい頃 なんでこの2人結婚したんやろ~といつも思ってまし

た。姉夫婦のトコに遊びに行くと夫婦仲良く、この家庭の子に

産まれたかったなぁ~と幼心に思ってました。
 

 

子供って言う繋がりがあってもってた夫婦のような気がします

根拠があるかどうか分かりませんが血液A 型とB型

干支 猪と鳥

どっちがどうこう言うわけではありませんが、お互い思いやる

気持ちが足りてなかったように思います。

小学生のころ リビングで家族4人テレビ見てたりはしましたが

父と母の会話はもの凄く少なかったです。

兄夫婦が出て行った後は父と母 2人暮らしでした。

寄っても よく口げんかしてましたので用事が無い限り

実家に寄ると言うことも少なかったです。

今思えば親不孝だったなぁ~と

 

親父との思い出
 

 

 

親父の産まれた実家で撮影 私が4歳くらい

 

 

 

小学校2年生くらいまで 母方の兄弟で年に1回旅行に出かけてま

 

した。勝浦温泉、鳥羽、犬山など1泊2日くらいで近場に出かけて

ました。いとこ同士でゲームするのが楽しくて楽しくて。

 

 

だんだんと成長するにつれ この企画もなくなり、家族だけ

出かけたりすることも多くなりました。

 

 

1番記憶に残ってるのが仙台。

名古屋から仙台にフェリーで行って バス観光 帰りは飛行機

なんせ飛行機乗る事初めてでしたのでもうワクワク。

 

家族旅行も兄貴が中学入ると 部活が有り行くことも無くなりま

した。夏休みを利用して親父と2人だけの旅行で長野に行った事

今でも覚えてます。三重交通利用したバス旅行でした。

小学校6年の時だったように記憶してます

母親にべったりだった 私でしたがこの時初めて親父と泊まりで

出かけました。今思えば思春期の変化のあった時期のように

思います。親父もまさか私が二人っきりで行くと言うとは

思ってなかったでしょうね。楽しかったです。

 

 

 

この二人っきりの旅行の写真 残念ながら1枚もありません

あ~残しておけばよかった~~

私の親父 現在84歳 おかげさまで元気です

70歳の誕生日に車の免許の更新があったのと、50代で入れた

ペースメーカーの電池交換の手術前に「もう3回目の手術やし、

帰ってこれやんかもしれんで 葬儀用写真撮ってくれ」と撮影し

た写真です
 

 

現在4回の電池交換してます

4回も交換してみえるかたも珍しいそうです。

8月に電圧の検査しましたが、まだまだ5年くらい大丈夫だと

言われました。最近はあまり動きませんので電池も減らないそう

です。5年後はもう90歳なんで体力的に心配です

 

 

最近に撮った写真がコレ ↑

頭はもともと薄かった(笑)んで そんなに印象は変わりません

が目が小さくなってるかな。。。。

 

 

 

若い頃(40代後半)から糖尿病でした。祖母が糖尿病煩ってまし

て、私にも遺伝する可能性はございます。50代でペースメーカー

現在はパーキンソン病、アルツハイマー病と軽い症状ですがでて

おります。1時期 アルツハイマーの強い薬に飲用で頭痛のあった

時がありましたが薬をやめてからは落ち着いてます。

何だったんだ??あの薬の影響は???

 

 

父、母の新婚旅行の写真↑

前回に少し書きましたが 私の父と母はあまり仲良しさんでは

ありません。父にパーキンソン病、アルツハイマー病が出てまし

たので だんだんと1人で立つこと 着替えなど生活にも支障

が出始めてきました。そんな時母が大腸の1部が破れ便が漏れ

緊急手術をすることになりました。1週間ほど前から激痛があっ

たんですが本人食べ過ぎだと。。。。夏祭りでラーメン食べて

寿司食べてアイス食べてお腹が冷えたんだと言うもんでてっきり

そうだと思ってました。内科で点滴2.3度打ってもらって治まっ

てました。1週間続いたのでさすがに「これはおかしい」と市民

病院に行って緊急手術でした。

父と母 2人暮らしでしたので父を介護付きの施設に預かって

頂く事になりました。国の機関ですが期限はあります。

1時預かりという事になります。私どもも日中仕事で居ないので

常時父の様子見ること出来ず、母の退院を待ちます。

母の手術は3時間ほどで無事終了しました。

大腸の1部を切除。癌では無いので一時的に人工肛門になります

病気1つ、病院にもかかったこと無い母には相当なショックでし

た。今の手術って回復早いですね 翌日には歩いて下さいって

看護婦さんに言われてました。経過を見て2週間くらいで退院だ

そうです。毎日時間を作って と言うか自分がスタジオ閉めて

フリーカメラマンとして再スタートしてた時期でしたので割に

時間をとること出来 これは親孝行しなさいと言う時間頂いた

と思い 父の施設 母の病院と様子見に行きました。

まぁ少しワガママな母は病院の寝巻きは着にくいで家から持って

来い、持っていけばコレと違う。見舞いに柿をお姉さんが持って

来ると柿は消化悪いでいらん。。。。と言ってお姉さん怒らす!

手術後の経過も良くなって 大部屋に移って下さいって言われて

嫌や~とだだこねる。リハビリに歩きなさいって言われても言う

事聞かないと 結構やりたい放題やってました。

自分で嫁姑の関係悪くしておいて ちょっとも見舞いに来ない

と怒るし。「嫁やで、来て当然!!」みたいな。

2週間で退院して良いと言われて 帰るとご飯用意せなアカンと

3週間粘るしぃ~~ 日中外出許可が出るので朝食、回診終わる

と10時。人の都合を聞かず「10時に迎えに来い」自宅に帰って

くるとピンピンしてるのに 退院はしない。ご飯食べに病院戻る

と言うのが5日間くらい続きました。3週間目にはとうとう退院

させられ外来になりました。

入院中、父は「母は元気にしてるの?病状はどう?」と聞くのに

対し 母の口からは1度も親父の事心配するような事はありませ

でした。
 

文章はまだまだ続く。。。。

 

 

 

2017年元旦に実家に集まった時の写真です

 

親父と母との2ショットが撮りたくて、、、

 

たぶん嫌がるだろうと まず孫と撮って 兄家族と撮って 

その間に2ショット入れて(なんとか流れで撮ってくれました 作戦成功)

 

 

 

親父もアルツハイマー症、認知症が進んでますので

 

来年はどうなってるか?? なんで 話せるうちに 皆に

 

ありがとメッセージをビデオに入れておきました

 

 

アルバムと動画 そして肉声(録音済み) 親父の想いでとして

 

残すこととなりました。

 

 

 

 

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